四字熟語で小話⑤ 諸行無常
自らの発想力のなさを嘆いた結果、四字熟語から思い浮かぶ事や物、小説風のものまで思い浮かんだことを書いていく。第5回
今回は感じたことです。
『諸行無常』
こどもの頃は、意味は解らないなりに音読した時の美しい響きで覚えた。
平家物語が書かれた後の世には、琵琶法師が琵琶でもって弾き語っていたのであろうから、より一層趣深く無常観を人の心に訴えかけていただろう。
常なるものはない。
全ては移り変わっていくもの。
時代も年齢も文明も人も今持っているものも。
「徒然記」を掲げているので、学生時分ぶりに「徒然草」をいくらか読んだ。
その中で印象的だったのが、「無常観」。
特に死に対する記述が多かったように思われた。
実際にはそうではなく、今の私がそういった事柄に敏感だからかもしれない。
ただ、それを読んだ時に兼好法師が生きていた時代はそのように死というものが非常に身近だったのだと感じた。
明日死ぬかもしれない、では今日どう生きるか。
そのような時代であれば、余計に時間の密度が濃いように思われる。
今という時に集中するとでも言うべきか。
死を感じることが多いのと同時に、人が生きる様にも目が向けられる。
どう振る舞い、発言するか。
兼好法師が見聞きしたこと、体験したことに関する所感が今と通ずるところがあり、大変面白いと感じた。
全ては変化していくものだが、こうして時代を超えて何百年も前の人と同じことを感じることができるなんて、人間とはその程度のもので、とても面白いものだなあとしみじみと感じ入った。
受験に必要だから勉強してきたものだが、今になって古典から学ぶべきことが沢山あるように思われた。
とりとめなく書いてきたが、諸行無常というとなんだか切なく哀しいもののように感じるが、今という時に目を向け、今を生きることの大切さを感じさせてくれる言葉のように思うのだ。
自分にとって、本当に何が大切なのか。
それを問われているように思うのだ。
おわり